<Lamborghini> FF11(Sirenサーバ)で遊んでいるプレイ日記をだらだらと。普通の日記や気になるニュースの話題なども書いていきます。
2008年08月30日 (土) 22:45| 編集 |
8/31をもって、オーマイニュースが終了する。
http://www.ohmynews.co.jp/

「市民みんなが記者だ」を合言葉に立ち上がった市民メディアは、成功の目を見ないままその命を終えることになった。
このオーマイの失敗の原因は、すでに何人ものジャーナリストの方達が分析しており、私がいまさら口を出すことはない。
ただそれでも市民記者登録を行い、コメ専記者として発言してきた立場から感じたことを書いてみる。


『オーマイニュース』の挑戦
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star内容よりも論調に問題
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オーマイの失敗の理由として真っ先に思いついたのは、やはり編集部と市民記者との距離感だ。
市民メディアとは、編集部と市民記者とが手を取り合い、共に発展させていくものだと思っていたのは私だけではないだろう。
しかし、結局それは幻想だったようだ。

オピニオン会員の廃止の際、少なくない記者・会員から反対の声が上がった。
その時に平野編集長が言ったとされる「とりあえず意見を求めたという形だけを作れば、それでOKなんじゃないの?」この言葉こそが、編集部の体質を明確に表していると言える。

編集部と全市民記者が直接意見交換できる場が設けられなかったのも当然のことだろう、編集部は市民記者の「意見」など必要としていなかったのだから。
編集部にとって市民記者とは手を取り合うべき仲間ではなく、記事を量産する装置に過ぎなかったのだ。
上層部の決定事項を編集部が市民記者に下命し、市民記者はそれに従って記事を書く。そういう構造を想定していたのではないだろうか。もっとも上層部の意思が編集部員にすら伝わっていなかったことは、マイニュースジャパンの記事(http://www.mynewsjapan.com/reports/897)でも明らかになっていたが。


もう一つは、市民記者に対する教育がまったくなっていなかったことだ。
オーマイには昔から事実誤認・間違い・でっち上げなどの記事が多く見られた。そしてこれらの多くは一部の特定の記者の手によるものだった。
これらの記事のコメント欄には間違いの指摘や事実の確認を求める意見が多く見られたが、屁理屈や言い訳を続け、自分の非を認めない記者がほとんどだった。

本来ならば、記事の事実確認や記者への注意などは編集部が行うべきことだ。しかし編集部はそういったことを全く行ってこなかった(どころか、それらの記者を優遇しているとしか思えない場合もあった)。
ある記者はGoogleで調べれば10秒でわかるような「事実」を堂々と間違え、それを指摘されると「人間誰しもミスがあるのは当然だ」と開き直り、その後何度注意されても同じようなミスを繰り返していた。編集部はこういう記者を重用していたのだから、記事の質というものをまともに考えていなかったと言われても仕方がないだろう。

ニュースサイトに最も必要なのは、私は「信頼性」だと考える。
オーマイが情報を発信し、読者がそれを受け取るという関係上、絶対に必要なものだ。
しかし上記のような問題記者の記事が何度も掲載されるようではどうだろうか。
間違いだらけの記事を量産するオーマイに対し信頼感を持つことなどありえない。信頼できない「ニュースサイト」など誰も読まない。

上記の問題記者は自身のブログで「間違いを恐れずに記事を書こう、間違いがあったら修正すればいい」と言ったことがある。とんでもない理論だ。
読者が修正後もオーマイに足を運んでくれるとは限らない。たまたま最初の訪問でひどい出来の記事を読んだら、おそらくその人は二度とアクセスしないだろう。
一期一会の精神を持って読者のことを真摯に考えれば、自分の記事に責任を持ち、記事の執筆前にきちんと事実確認を行うのは当然のことだ。
確かに人間、誰でもミスはある。しかしそれは間違いを犯した当人が言い訳として口にしていい台詞ではない。
きちんと下調べをし、熟考を重ね、それでもなおミスがあったとき。そんなときに自然と読者からかけられるのがこの言葉だろう。
そういうことも理解していない記者もいたのだ。

こういった「当然の教育」を放棄し、事実確認どころか誤字脱字の指摘まで読者任せになっていたのがオーマイ編集部なのだ。


J-CASTのインタビュー(http://www.j-cast.com/2008/08/28025907.html)で平野編集長は「創刊当初は、読者も市民記者も、全然編集部の考えていることを理解してくれなかった」と発言している。
いや、おそらくは読者や市民記者は「進むべき道」を理解していただろう。編集部はその「道」を理解できていなかった。だから編集部の考えは理解されなかったのだと思う。
このすれ違いは、結局オーマイニュースの最期まで解決することはなかった。
大幅に方向性が変わるオーマイライフで、編集部と市民記者はいったいどこに向かっていくのだろうか。
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テーマ:市民メディア
ジャンル:ニュース
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